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要は「現行の賦課方式を清算して積立方式へ再移行せよ」という、世代間の不公平および経済的効率性に重点をおいた社会保障改革論。著者の社会保障財政への危機意識は真っ当なものであり、政府・役所・社会保障の専門家(=御用学者)の作為・不作為に対する怒りには共感する部分も多い。
しかし、自身の推計結果の優位性を強調するあまり、積立方式のデメリットを過小評価している感がある。例えば、
「人口構成の変化には中立的でも運用リスクはモロに被るのでは?」
「そもそも運用収益率だって人口構成の影響は免れないのでは?」
「社会保険と民間保険を"保険"というだけで同一視するのはどうよ?」
「チリなどでは積立方式へ移行して失敗に終わったが、その総括は?」 etc
・・・など、積立方式にも数々の疑問が指摘されているのだが、本書では「過去10年はデフレだったから問題ない」「官僚や御用学者による屁理屈」等と切り捨てるか無視を決め込むかしており、こうした反論に真摯に対処しようとしない姿勢は誠に残念である。(著者に限らず)経済学者はただでさえ自身の推計結果の有意性のみを振りかざす独善的傾向があるだけに、これでは経済学者は官僚以上に一面的で視野が狭いとの印象を与えてしまいかねない。
とはいえ、経済学者による典型的な年金議論を俯瞰できるという意味では、とっつき難いが有用な一冊である。政府や官僚だけでなく経済学者に騙されないためにも、彼らが弄する数字のマジックの手口は心得ておきたい。少なくとも、著名なブロガー(ココとかココとか)が評価しているというだけで本書を鵜呑みにするような愚は避けたいものだ(汗)。

【書評:社会保障全般の最新記事】
この書籍の著者氏の問題意識には至極同意できる点が多々あったのですが、ご指摘のように著者氏の持論(仮説?)に関する考察については、やや一方的(或いは強引)過ぎる部分があって、全部とは申しませんが若干無理がありすぎる(時として我田引水的、又は思い込みに依拠する、若しくは結論ありきの論法が含まれる)ように思いました。
著者氏の問題意識も著者氏の仰る前提の上での論理構成も間違ってないようには思えるのですが、論考の前提が若干現実と乖離する部分があるか、或いは故意か過失かは別としても捨象が為されすぎているが故に、結論及びその論の過程に若干の無理が生じているような気がしました。
「社会保障という概念」を重視しないで、社会全体の経済活動として経済学の論理で語ればこうなるのかも知れないとも思いますが、人間は経済学だけで測れない社会的な存在であると思います。
社会保障を経済の論理で動く世界と見るか政治の論理で動く世界と見るか、で議論の方向性も変わってくるとは思いますが、所謂私保険の論理である「保険原理」と同原理から派生した論理である「社会保険の原理」の違いを捨象して「社会保障としての社会保険制度」を語っては拙いのではないかと思います。
勿論、社会保障の本質が富の再配分である以上、経済から完全に独立して成立するものでは無いのですが、一方で経済の論理だけで語るのも社会保障の概念からは乖離するように思えますので。
コメントありがとうございます。
そうですね、著者の鈴木センセは本書でも「景気予測を見習え」とか自賛していましたが、景気予測だって外しまくりではないかと(笑)。そもそも自分達が完全に正しいなどと臆面もなく主張する時点で、研究者としての謙虚さゼロですね。学者失格の烙印を押されても仕方ありますまい(汗)。
経済学のモデルなんて、パラメータ設定の僅かな差で推計結果が大きく違ってきます。真っ当な経済学者ならば、モデルのブラックボックス化(非可視化)を最小限に防ぐために前提条件やモデル構造を開示するものですが、本書の推計結果にはそうした説明が一切為されてません。おそらく入門書(を標榜する割には歯ごたえがありますが)だからと省略したのでしょうが、入門書なればこそここは丁寧に説明すべきだったかと。おかげで本書の数値を鵜のみにして悦に入っているブログが散見されて、見苦しいことこの上ありません。
以下、社会的な風潮に対する一般論として。
「社会保障制度である公的保険・年金」を、「金融商品である保険・年金」と同じ土俵で論じるのは、少し違う気がしています。
「金融商品である保険・年金」に関しては、損得論など経済の枠組みで論じられることに異論はないのです。ただ、金融商品(単なる預貯金も含む。以下同じ。)でないものを、金融商品を扱うのと同じ土俵で論じても無理があるし、情報の受け手も金融商品と社会保障制度を同一視しないで欲しいです。
蛇足ながら、旧郵政省の「簡易保険(保険・年金)」も法律によって国家機関が扱っていたものの、こちらは「金融商品である保険・年金」なので、同じく法律に基づいて行政機関が扱う制度である「社会保障制度である公的保険・年金」と同一視するのは止めて欲しい(汗。>>被保険者の人。
単純化しすぎて本当のところが霧消しないよう、厳密すぎて難解にならないよう、そのさじ加減は難しいと思うし、私には無理だと思う。ところで、「初心者向けに単純化した入門書」って、いろいろと便利な言葉ですねぇ。(大汗
http://www.news.janjan.jp/media/0903/0903149395/1.php
横入り失礼致します。m(__)m
> 年金白書では、平成元(1989)年生まれの厚生年金加入者が支払った額のわずか65%しか年金をもらえないとの試算
貴殿の仰るこの部分は、貴殿の単純な誤読か制度や財政方式に対する理解不足による誤った解釈かと存じます。
失礼ながら、制度(財政方式含)そのもの、白書に登場してくる用語の意味や使われ方への理解の浅さ・誤りに気づかないまま、思うがままを書かれているように思えます。
このときの65%という数字は、決して支払った額の65%しか給付されないという意味ではありませんよ。
「支払う」という行為をどうとらえるかですね。たとえば企業側の保険料負担は雇用者報酬の一部です。それは実質的に労働者が「支払った」としてとらえるべきものだと私は考えます。だが、やはりそれは企業側が支払っているのだ、と主張する方もいます。
年金白書刊行当時の制度を前提に、当時の記述の意味としては、仮に企業負担分を全額自己の負担としても、支払った額の65%という意味ではありませんよ。
さらに、所得代替率や物価スライドという言葉の意味と制度の存在ををご存知ですか?
※物価スライドについては、今はマクロ経済スライドによる調整があるが、白書刊行当時はなかったので、割愛。
amazon様の態度も問題でしょうが、それなら、根拠なき誹謗中傷を含むと解する余地ある表現(しかも事実義認に由来する)垂れ流しレビューが掲載されることも、亦同じ。
細野氏も「制度は崩壊しない」と言っているが「給付水準が維持できる」とは言ってないだしょう。その違いが理解できないということは、やはり社会保障政策としての年金制度の意味が理解されてないのでしょうなぁ。経済や金融でなくて、政治・政策の領域である公的年金において、前者が生じるということは、後者とは比べ物にならないくらい回避する必要のある出来事だにゃ。
公的年金制度に、企業年金や私的年金と同様の金融商品としての性格を期待すること自体が失笑ものなわけですぢゃ。
だいたい、徴税権を背景にもつ公的年金制度が、「制度として立ち行かない(≠給付水準の維持不能な)」経済状態であれば、私的年金・企業年金も同じだにゃ。
人様の庭先を荒らすのは本位でないので、この辺で立ち去りますわ。管理人様には申し訳なかたです。m(__)m