年金の支給開始が70歳になったら、「金融商品」としての損得はどうなるのだろうか? (橘玲 公式サイト)
公的年金の支給開始年齢を70歳に引き上げるという案が話題になった。あまりの反発に民主党は即座に撤回したが、年金財政の悪化を考えれば、早晩復活することは間違いないだろう。
ところで年金の支給が70歳開始になったら、積み立てた保険料と、生涯にわたって受け取ることになる保険金の関係はどうなるのだろうか?
上記のような議論でありきたりなのが、掛金支払総額と年金受取総額(見込)を比較して
「払った分だけ元が取れないから(公的年金への加入は)損だ」とするもの。中には、馬鹿の一つ覚えみたいに
内部収益率(IRR)を算出して
「数学的にも証明されました(キリッ!)」とドヤ顔して恥じない学者・学生も後を絶たない(汗)。世に蔓延するマネーの常識に淡々と異議を唱えることで知られる
橘玲氏もまた、残念ながらそのご多分に漏れなかった模様。
さて、上記の橘氏の記事では、70歳から平均余命までの期間を基に比較検証していたが、実は、確定年金と同じ感覚で公的年金それも終身年金(終身給付)の収益性を論じるのはあまり意味がない。何故なら、終身給付は文字通り生きている限り給付を受け取れるため、
受取総額が最終的に幾らになるかは受給が終了しないと(=死んでみないと)分からないからである。内部収益率の算出には期間の設定が必要であり、終身給付のように不確定なキャッシュ・フローでは内部収益率の算出は不可能である。何せ
人間はいつ死ぬか分からないからである。まあ、内部収益率だなんて大層なモノを引っ張り出さなくても、ここでは
終身年金は長生きすれば得、早死にすれば損とだけ覚えておけば良い。
わが国の公的年金は終身給付を旨としている。つまり、公的年金を金融商品になぞらえるなら、単なる老後貯蓄商品ではなく、
不意に長生きしたことを理由に支払われる保険商品と捉えるべきであろう。生命保険(死亡保険)がいつ死ぬか分からないリスクへの備えであるのに対し、公的年金(生存保険)は
いつまで生きるか分からないリスクへの備えである。よって、死亡保険で払った分だけ元を取ろうという発想が珍妙なのと同様、公的年金で払った分だけ元を取ろうというのもまたお門違いである。
また、終身給付は、早死にした者の給付原資を長生きしている者に再分配することを前提に構築されている。このため、長生きする自信のある層がこぞって加入する民間保険よりも、早死にする可能性が高い層もまとめて強制加入させる公的年金の方が掛金水準は低くなる傾向にある。すなわち、
効率的な終身給付を提供するなら強制加入の公的年金が最適なのである。逆に、終身給付を提供しない公的年金など
民業(企業年金&個人年金)圧迫でしかない。
<関連エントリ>
The企業年金BLOG(2012/2/12): 所得再分配を伴わない公的年金は不要!?
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posted by tonny_管理人 at 03:49
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